イタリア人とパンの、ちょうどいい距離感
- 15 時間前
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イタリアパン屋見習いシリーズ 第2弾
LOST IN TRANSLATION: LIFE OF A JAPANESE GIRL IN ITALY
ブラの町のパン屋さんに分けてもらったスターターを使ってサワードウを焼き、感想をもらいに翌日改めて訪ねた。それをきっかけに、数回にわたって見習いをすることになった。イタリアの「Forno(パン屋さん)」という場所で見た風景について、いくつか気づいたことがある。第2弾として、前回の続きをお届けしたい。
朝5時半。まだ真っ暗な工房に着く。街は静かなのに、パン屋だけはもう一日が始まっていた。

仕込みを進めているうちに、朝7時オープンのはずなのに、6時台から続々とお客さんがやって来る。「まだ開いてないのでは?」と思っていると、「お客さんが来る時間が開店時間だよ」と言って、普通に対応し始めた。イタリアのパン屋さんは、営業時間よりも「街の生活リズム」で動いている。
しかも、お客さんはみんな注文に迷わない。
私からすれば、イタリアのシンプルな食事パンはどれもよく似て見える。でも常連さんたちは、自分のお目当てのパンの名前をちゃんと覚えている。「いつもの」を頼んで、子どもの近況などを軽く話し、さっと帰っていく。このパンで朝ご飯や昼ご飯にパニーニを作るのだと教えてくれた。
私はブラに来てからずっと、「イタリアの甘い朝食」に憧れる観光客みたいな感覚でいた。でも、こういうシンプルな食事パンを自然に頼めるようになったら、一人前のイタリア人なのかもしれない、と思った。笑
日本のパン屋さんでは、トレーを持って、自分でパンをトングで取ってレジに並ぶスタイルが多い。でもイタリアでは、ショーケースの向こう側に店員さんがいて、「どのくらい切る?」「あ、もうちょっと小さく!」「これくらい?」と会話しながら量り売りしていく。

日本だと、パンはもっと完成された「作品」として丁寧に扱われるイメージがある。トッピングが崩れないように、形が壊れないように。「萌え断」と呼ばれるサンドイッチや、テーマパークのように並べられた豪華なパン。新商品や季節限定の商品も次々と登場する。どちらかというと、日本には「パンの見た目を愛でる文化」があるように思う。
一方でイタリアでは、積み上がったパンをガシガシ紙袋に入れていくし、フォカッチャやピザもハサミで豪快に切っていく。その雑さが逆に印象的だった。ああ、これは「商品」というより、「毎日の食べ物」なんだ、と。イタリア人は「スカルペッタ」といって、皿に残ったソースをパンでぬぐって食べる。レストランでも、かごから取ったパンはパン皿に載せるのではなく、カトラリーの横にそのまま置かれていることが多い。その扱い方にも、パンが特別な存在ではなく、食事の一部として当たり前にあることが表れている気がした。言ってしまえば、お皿の延長のような存在なのかもしれない。
接客も面白い。
奥からおばあちゃんの「Arrivo〜!(今行くよ〜)」という声だけが聞こえてきて、「何欲しいの?」みたいな感じで会話が始まる。「それはまだ焼けてないんだよ」「えー、じゃあこれは?」「それならあるよ」。そんなやり取りが当たり前のように続いていく。
お客さんが気になっていそうなパンは、「これ食べてみな」と小さく切って持たせてくれる。なんというか、「持ってけドロボー」みたいなテンションで、おまけしてくれるのだ。働いている人たちも、無理に「店員役」を演じていない。笑顔を作ったり、声を高くしたりして接客する感じではなくて、もっと自然体だ。若いアルバイトの子たちも、常連のおばあちゃんと軽口を叩けるくらい距離が近い。 面白かったのは、パン屋さんにクッキーやミニタルトが普通に並んでいることだった。
最初は、「パン屋さんなのにお菓子もこんなに売るんだ」と思っていた。でもイタリア人にとって、あれは必ずしも「お菓子」ではない。朝ご飯なのだ。
例えば fette biscottate。カッチカチに焼いた乾いたパンのようなものにジャムを塗って食べる。ブリオッシュやクロスタータ(タルト)も、「デザート」というより朝のエネルギー補給に近い。日本だと「甘い=お菓子」という感覚が強い。でもイタリアでは、甘いものも生活の食事リズムの中に入っている。 しかもパン屋さんは、「完成品だけを売る場所」でもない。ブリオッシュやカンノーロは注文を受けてから、裏の工房でクリームを詰めてくれる。ピザ生地も生地の状態で予約販売していて、「家で1時間発酵させて、10分焼いてね。好きなトッピングをたくさん乗せてね」と渡していた。考えてみると、イタリアのパン屋さんは「完成品を売って終わり」の場所ではないのだと思う。家で温める。続きを焼く。ハムを挟む。誰かと分ける。
イタリアでは、パン屋さんと家庭の食卓が、ゆるく繋がっている。だから、お客さんもパンを選びに来るというより、ただ買いに来るのかもしれない。「今日はどれにしよう」というより、「いつものを買う」。イタリア人にとってパンは、「楽しみに行く特別な食べ物」というより、「生活そのもの」に近いのかもしれない。 私は逆に、日本の「毎日通う場所」とは何かを考えていた。もはや商店街のお米屋さんにお米を買いに行くことも、お惣菜屋さんでコロッケを買うことも少なくなった。毎日なんとなく立ち寄って、顔を覚えられていて、「いつもの」があって、生活のリズムの一部になっている場所。
私は、日本の昔ながらの喫茶店を思い出した。


テレビや新聞があって、モーニングセットの卵の茹で加減を常連さんの好みに合わせて変える。もはや新しいメニューさえ生まれていた。オーナーに会いたいから行く。そのためには毎日通える価格帯であることも重要だ。新しいカフェができても競合にならない。そこには、「通う」ことでしか見えてこない関係がある。
イタリアのパン屋さんも、日本の喫茶店も、きっと同じなのだと思う。コミュニティを作ろうとして人が集まるのではなく、毎日の生活を支える場所だからこそ、結果として人が集まる。イタリアのパン屋さんを見ながら、私はそんな場所のことを考えていた。
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