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「カレー」が辿ってきた道

  • 5 日前
  • 読了時間: 6分

LOST IN TRANSLATION: LIFE OF A JAPANESE GIRL IN ITALY


「インドには“curry”という料理はないんだよ。」

インド出身の友人がそう言った。その意味がすぐには理解できず、それまでカレーはインドの国民料理だと信じて疑わなかった私は、混乱してしまった。

南インド(タミル・ナードゥ州)出身の友人が作ってくれた、お母さんのフィッシュカレー!
南インド(タミル・ナードゥ州)出身の友人が作ってくれた、お母さんのフィッシュカレー!

日本人にとってカレーは、唐揚げやハンバーグと並ぶ、子供から大人まで好きな家庭料理である。「今日はカレー」と言えば、誰もが同じようなあの料理を思い浮かべる。

しかし彼女にとっては、「カレー」という一つの料理が存在すること自体が不思議なのだという。インドには、地域ごとに異なる名前を持ち、異なるスパイスを使う料理があり、調理法もさまざまだ。つまり、インドには、日本のカレーライスのように一定の姿を持った「カレー」という単一の料理があるわけではない。私たちが「カレー」と呼んでいるものは、多様な料理を外側からひとまとめにした呼び名でもあるのだ。


数日後、今度はマレーシア出身の友人と日本のカレーの話になった。

「タイカレーもインドカレーも知っていたけど、日本にもカレーがあることはマレーシアのCoCo壱番屋で初めて知った。最初は甘くて苦手だった。でも今ではコンフォートフードになったよ。」自分で作る時も、「日本のカレーには、日本の短粒米を合わせる」というのが彼のポリシーだという。


私はその話がとても面白かった。インドで生まれた食文化がイギリスへ渡り、日本で別の料理へと変化し、さらに東南アジアへ輸出され、今度は現地の人の日常になっている。なんて遠回りなのだろう。

文化は一直線に広がらない。何度も姿を変えながら、新しい土地で新しい意味を獲得していくのだ。

日本のカレーは、どのように今の姿になったんだろう。 18世紀後半から19世紀にかけて、イギリスでは、植民地支配を通じて出会った南アジアの多様な料理が、「curry」というカテゴリーで理解されるようになった。さらに、複数のスパイスをあらかじめ混ぜたカレー粉が料理書や市場に登場し、イギリスの家庭でも再現できる料理へと整理されていった。地域ごとに異なっていた複雑な食文化が、イギリスの料理書や食品市場の中で、自分たちが理解し、家庭で再現し、流通させられる形へと「翻訳」されていったのである。

そのカレーが日本に伝わったのは明治時代だった。1870年代にはすでに西洋料理書に作り方が掲載され、その後、洋食店や軍隊の食事にも取り入れられていった。20世紀に入ると、食品メーカーによるカレー粉や即席カレーの普及、さらに家庭や学校給食で繰り返し食べられたことによって、カレーは日本全国に定着していった。そして戦後、日本の家庭のカレー作りをさらに大きく変えたのが、固形の即席カレールウだった。ルウがあれば、何種類ものスパイスを家庭で常備しなくても、誰でも比較的失敗なく、同じような味を作ることができる。インドで家庭や地域の知恵として受け継がれてきた多様な調理の一部が、日本ではルウという商品を介して、再現可能な家庭料理として広く共有されるようになったのである。


最近、日本では「ルウを使わないカレー」が一つの価値になっている。スパイスを一から調合し、小麦粉を使わず、自分だけのカレーを作る。そんな料理が「本格的」と語られることも多い。私はそれが少し面白い。誰でも同じ味を作れるように生まれたルウが十分に普及したからこそ、その反対側にある「手間をかけること」が、新しい価値になっている。標準化が進むほど、個性が求められる。便利さが当たり前になるほど、不便さが贅沢になる。

戦後、日本で「専業主婦」を理想とする家庭像が広がった時代に、なぜ固形ルウのような便利な食品も求められたのだろう。そんな疑問を持った私は、祖母の話を思い出した。 昔の家には縁側があり、今よりもずっと家族が多かった。法事や祭りになれば親戚が集まり、同じ皿を何十枚もそろえ、一度に大量の料理を作ることが当たり前だったという。祖母も、お姑さんから料理を教わりながら、その暮らしを支えてきた。少なくとも祖母の暮らしを見れば、「家にいたから時間があった」とは言えない。むしろ、大人数の食事を整える責任が、一人の女性に集中していたのである。そう考えると、「誰でも失敗せずに作れる」ということは、単なる「手抜きをする」ための便利さではない。家族を支えるための社会的な技術でもあったのではないかと思う。

1963年、ハウス食品はリンゴとはちみつを使った「バーモントカレー」を発売する。辛さよりも、「子どもでも食べやすい甘さ」として打ち出した商品だった(インドの友人にりんごとはちみつを使っていると言ったら驚いていた)。

広告には、「3時と6時はハウスタイム」という言葉が書いてあった。当時の広告には、温かな家庭の食卓が繰り返し描かれていた。そこから私が読み取ったのは、商品そのもの以上に、「洋食を作る母」「家族がそろう夕食」「元気な子ども」「安心できる家庭」といった、当時の理想的な暮らしの姿だった。私たちが「日本のカレーらしい味」と感じるものは、家庭だけが育てたものではない。学校給食、工業製品、メディア広告、そして家庭で繰り返された食卓の記憶が重なり、一つの味覚が社会の中で共有されてきたのである。

インドの多様なスパイス料理は、イギリスで「カレー」という一つのカテゴリーとして整理され、日本では家庭料理として独自に発展した。さらにカレーチェーンを通じて「ジャパニーズカレー」として世界へ広がり、今ではカレーパンやカレーうどん、オムカレー、スープカレーなど、日本独自のハイブリッドな料理も数多く生まれている。 台湾の友人は日本旅行で食べたカツカレーを懐かしく語り、マレーシアの友人にとっては、日本のカレーがコンフォートフードになっている。一方で、イギリスでは、イギリス生まれともいわれるチキンティッカマサラが「国民食」を象徴する料理として語られている。タイでは、現地で「ゲーン」と呼ばれる独自の料理が、国外ではグリーンカレーやレッドカレーとして知られるようになった。あるものは異国の料理を自分たちの暮らしに合わせて作り替えたものであり、あるものは、もともと異なる料理が外側から「カレー」と名付けられたものである。

これらはどれも、それぞれの社会が異国の食文化を、自分たちの暮らしの中で理解し、受け入れられる形へと翻訳した結果なのである。私たちは「本場」という言葉をよく使う。しかし、本場とは、変わらない場所ではない。文化は、人とともに移動し、その土地で翻訳され、再解釈されながら生き続ける。 日本のカレーはインド料理ではない。けれど、それを「本物ではない」と言うこともできない。それは、日本という社会が異国の文化を自分たちの暮らしへと翻訳し、何世代にもわたって育ててきた歴史そのものだからである。 私たちの旅をフォローしてください:@movimento.metropolitano.



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