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100年続くパン職人の仕事

  • 6月3日
  • 読了時間: 7分

イタリアパン屋見習いシリーズ 第1弾


LOST IN TRANSLATION: LIFE OF A JAPANESE GIRL IN ITALY

ブラの町のパン屋さんに分けてもらったスターターを使ってサワードウを焼き、感想をもらいに翌日改めて訪ねた。それをきっかけに、数回にわたって見習いをすることになった。イタリアの「Forno(パン屋さん)」という場所で見た風景について、いくつか気づいたことがある。今回はそれを、3回にわたる連載形式でお届けしたい。 1, 「地域の炭水化物インフラ」を担うイタリアのパン屋さん まず驚いたのは、「こんなに色々作っているんだ!」ということだった。 毎朝、町のバールにコルネットや食事パンを配達する。週に数回は、ホテル向けのミニサイズのコルネットや名入りクッキーを作り、近郊のワイナリー向けにもパンを卸す。さらに、町の人気ハンバーガーショップ用のロゴ入りバンズまで焼いている。イタリアの町のパン屋さんが、こんなにもBtoBの仕事をしていることに驚いた。

植物炭の黒いハンバーガーバンズを焼いている様子
植物炭の黒いハンバーガーバンズを焼いている様子

日本では、パン屋さんはしばしば「パン専門店」として存在している。食パンに強い店、ハード系に特化した店、クロワッサンがおいしい店。人々はそれぞれの看板商品を求めて、行列を作ったりもする。 一方、イタリアにももちろん専門性はあるが、町のパン屋さんはもっと生活に近い。そこには、「パン職人」というより、「地域の炭水化物担当」のような役割があった。朝食用のコルネット。昼の切り売りピザやフォカッチャ。アペリティーボ用の小さなおつまみパンたち。ホテルの朝食。大学の食堂。ハンバーガーバンズ。気づかないところで、ずいぶん彼らにお世話になっていた。イタリアのパン屋さんは、この町の一日のあらゆる「粉もの需要」を引き受けていたのである。 2, パン屋さんの経営は、算数だった。 手作りしたサワードウを持っていった時、最初に聞かれたのは「加水率は何%だったか」ということだった。小学生の頃から算数が苦手な私は、そこで詰まってしまった。余っていたメモ用紙に計算式を書きながら、一緒に加水率を計算するところから始まった。

加水率、発酵時間、仕込み量、翌日の売れ行き。

彼らはいつも数字で会話していた。日々の微調整を少人数で共有しながら、毎日の経営を回している。

パン作りにも、無駄を出さないためのさまざまな工夫が見られた。印象的だったのは、プロシュートの切れ端を捨てなかったことだ。小さくなってスライサーで切れなくなった部分は、水を少し加えてミキサーにかけ、フォカッチャの生地に塗っていた。余ったクロワッサン生地も、新しい生地に混ぜ込む。その時、「バター量が増えるから、新しい生地のバター量は計算し直さないといけない」と言っていて、驚くほど細かな計算が行われていることを知った。また、揚げピザやボンボローニを、一度に大量に作って冷凍していた。日本では「冷凍」にネガティブな印象を持つ人も多いかもしれない。でも彼らにとって重要なのは、「営業の中で安定して回ること」だった。ボンボローニの需要が高い開店直後の時間帯にしっかり店頭へ並べられること。忙しい時間帯にも対応できること。その現実感覚が、とても印象に残っている。

その裏側には、想像以上にハードな労働がある。私の家の近くにある別のパン屋さんでは、夜11時半頃に工房へ入り、夜の間に発酵させた生地を朝4時頃から仕込んでいた。昼過ぎには寝ているらしい。これは国に関係なく、パン屋さんという仕事そのものの性質なのかもしれないが、「想像以上に厳しい」と正直に思った。オーナーの将来の夢は、「もう働かないこと(笑)」。冗談めかして言っていたけど、その言葉は妙にリアルだった。 3, パン職人は、暮らしを設計している パン屋さんは、自分たちのパンが「どこで、どう食べられるか」という食事のシーンまで考えていた。イタリアには、パン屋、パスティッチェリア(洋菓子店)、バールがある。役割は似ているようで、少しずつ違う。パン屋さんには、買ったものをその場で食べられるスペースがない。だからこそ彼らは、自分たちの商品がどう生活に入り込むかを強く意識していた。

「これは食べる前に温め直してほしいね」「コルネットは、車の中やベンチで食べるだろうから、シロップがベタベタ手につかない方がいいよね」

そんな会話を、職人たちは自然にしている。


つまり彼らは、単に「おいしいもの」を作っているのではない。「どう食べられるか」「どう運ばれるか」「どんな生活時間の中で食べられるか」まで含めて、パンを考えているのだ。 4, 伝統と進化 工房に入って気がついたのは、空間の全てが驚くほど合理的に設計されていたことだった。焼き上がったパンは長い木の板に並べられる。その板は工房の中を滑るように移動できるし、棚の高さも、発酵後のパン同士がくっつかないよう細かく計算されていた。無駄な動きがほとんどない。このレイアウトにたどり着くまでに、彼は工房の配置を3回変えたらしい。

また、彼は工房全体を見渡しながら、自分の作業を進めていた。弟子たちの動きも常に視界に入れていて、作業をしながら次々と指示を出していく。その姿に、長年の経験を感じた。 彼は100年以上続くパン屋の3代目でありながら、今もこの店を更新し続けている。面白かったのは、「勉強し続けること」の大切さについて話していたことだ。法学部で古典を学んだ経験にも触れながら、「この歳になっても、日々いろんな人から学んでいる」と言っていた。実際、彼はスローフード協会の創設者である故カルロ・ペトリーニ氏とも生前親交が深く、後にはパンの世界大会でイタリア代表にも選ばれている。幅広い人々と交流しながら、学び続けてきたのだ。私の大学でサワードウのマスタークラスの講師をしてくれていたのも、そんな活動の一つだ。その縁があって、私は今回見習いをさせてもらうことができた。今でも「学生にはいつでも教えるよ」と言って、さまざまなことを教えてくれている。 ただ、本人の話を聞いていて印象的だったのは、それを「新しいものへの挑戦」として語らなかったことだ。天然酵母を使ったパンやパネットーネ作りについても、「新しい技術を取り入れた」のではなく、「イタリアの伝統を取り戻しただけだ」と言う。伝統を守ることと進化することを対立させず、むしろ学び続けることで伝統を更新していく。その姿勢こそが、この家族経営のパン屋を100年以上続かせてきた理由なのかもしれない。尊敬する。 5,「artigianale(職人の)」という言葉の意味 イタリアでは、「artigianale」という言葉は小商いにおいて非常に重要である。ジェラート屋さんの看板などにも、この言葉が書かれていることが多い。それだけイタリアの消費者が価値を感じている言葉であり、だからこそ店側も大切にしている。 最初、私はartigianaleとは「全部手作業」という意味だと思っていた。

でも実際には、パン作りはかなり機械化されている。成形機は一瞬で綺麗に生地を丸めるし(実際に見て、そのスピードには本当に驚いた。)、スーパーのパンのように工場で大量生産することもできる。

機械であっという間に正確に成形されたパンの生地
機械であっという間に正確に成形されたパンの生地

それでもオーナーは、「パン作りにおいて一番大切なのは、人間の経験だ」と言っていた。毎日、温度も湿度も違う。変わらないのは職人の経験だけである。


この言葉を機にartigianaleとは、「全部手作業」という意味ではなく、「毎日変えられる柔軟性」なのだということに気がついた。

日本のパン屋さんでは、「この店の名物」が毎日並んでいることが多い。一方でイタリアでは、「今日は何が余っているか」で商品が変わる。

例えばフォカッチャ。玉ねぎをじっくり炒めた日もあれば、オリーブやハムとチーズ、ズッキーニを使う日もある。鉄板の半分ずつ味を変えながら、少量多品種で店頭に並べる。毎日並ぶ商品が少しずつ変わるからこそ、毎日来ても飽きない。自分の好きな味の日は、「おっ!」とうれしくなる。

毎日お客さんの反応を見ながら少しずつ変えていく。このやり方は、大量生産の工場ではなかなかできない。これこそが、お客さんのすぐ裏で職人が作っていることの強みなのだと思う。


フランス式のクロワッサンを販売してみたものの、売れ行きが良くなかったのでやめた。フォカッチャにかける液も、オリーブオイルだけだと「重い」というお客さんの声があり、ひまわり油を混ぜるようになったという。私が見習いをしていた日も、新しいピザの仕込み方法を試していた。

彼らは同じパンに対しても日々改善を続け、常により良いものを届けようとしている。地域の人々と対話し続けているからこそだろう。彼と一緒に町を歩いていると、次々と人から声をかけられる。この町にとって大切な存在なのだということを、改めて感じた。


今回は、イタリアにおけるパン職人の仕事や価値観について書いた。次の連載では、イタリア人と「パン」の距離感について書いてみたいと思う。ぜひお楽しみに。

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