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マントヴァの水辺で考えた、食と伝統

4 日前
読了時間: 8分

LOST IN TRANSLATION: LIFE OF A JAPANESE GIRL IN ITALY


8月のイタリアで、最も存在感の大きい日の一つが、8月15日のFerragosto(フェッラゴスト)である。その名前は、古代ローマ時代に初代皇帝アウグストゥスが設けた休息の期間 Feriae Augusti に由来する。その後、キリスト教の暦では8月15日が聖母マリアの被昇天を祝う日となり、現在ではイタリアの夏休みのピークでもある。日本のお盆の時期とも重なり、多くの店が閉まり、人々は海や山に行ったり、友人や家族と食事をしたりして過ごす。街全体が「バカンス」という雰囲気になる。

そんなFerragosto前日の14日、私はインターン先の先輩に勧められて、マントヴァ近郊の小さな町Grazie di Curtatone(グラツィエ・ディ・クルタトーネ)で開かれる「Antichissima Fiera delle Grazie」というお祭りへ向かった。


向かう途中に立ち寄ったバールで、耳寄りな情報を手にした。

「明日15日の朝7時に、熱々のコテキーノを挟んだパニーノを食べるんだよ。」 コテキーノと言われても、その時の私はどんな食べ物なのかいまいちピンときていなかった。でも、インターン先の先輩も、バールにいた地元の人たちも、口を揃えて笑う。

「Pesante! ――重いよ!」 調べてみると、それもそのはずだった。コテキーノとは、豚肉、脂身、そして名前の由来にもなった豚皮(cotenna)などを細かく挽き、腸に詰めたソーセージ。じっくり茹でて、厚めに切って熱い状態で食べる。北イタリアでは特に年末年始に登場する、どちらかといえば「冬」の食べ物である。


それを、一年で最も暑い8月の朝7時に食べる。なんで?

Grazieに着いてみると、本当にあちらこちらに “Panino con cotechino” の看板が出ていた。


まず、町の中心にあるSantuario della Beata Vergine Maria delle Grazie(グラツィエの聖母聖堂)へ向かった。


その前の広場では、たくさんの人が地面に座り込み、アスファルトの上にチョークで聖母マリアやキリスト、聖人などの宗教画を描いていた。彼らは Madonnari(マドンナーリ)と呼ばれる路上画家たち。毎年Fieraに合わせて開かれる「Incontro Nazionale dei Madonnari」のため、8月14日から15日にかけて制作を続ける。実際に見てみると、地面にチョークで描いているとは思えないほど立体的で、想像以上にリアルで驚いた。



そのままSantuarioの中へ入ってみると、外のお祭りの賑やかさとは一転して、なんだかアンティークで威厳のある空間だった。



壁の上には、人間と同じくらいの大きさの人形のような像がずらっと並んでいる。インターン先の先輩が「小さい頃はいつもあの人形が怖かった」と話していたので、「これのことか」と思った。

Santuarioの中に座りながら、このお祭りがどうやって始まったのかを調べてみた。すると、さっきまでバラバラに見えていたものが、少しずつつながり始めた。 もともとこの辺りは、ミンチョ川がつくる湿地の中にあった。そこでは漁師たちが湿地に入り、魚や野鳥を獲って暮らしていた。そして、この水辺には古くから聖母マリアへの信仰があったという。


大きな転機となったのが14世紀末。当時、疫病に苦しんでいたマントヴァで、フランチェスコ1世・ゴンザーガが聖母に救済を願い、その誓願を背景に現在の聖堂の建設が始まった。

聖母の加護を求めて人がやって来る。そして、救われた人は感謝を伝えに戻ってくる。先ほど壁にずらりと並んでいた人形のような像も、そうした信仰の中で残されてきた奉納像だった。病気や事故などの危機から救われたことへの感謝を、目に見える形にして残したものだという。

ここで、町の名前であるGrazieという言葉も少し違って聞こえてきた。日常では「ありがとう」でお馴染みだけれど、その根にある grazia には、宗教的な「恩寵」「恵み」という意味がある。聖母に救いを願い、その恩寵に感謝する。さっきまで単なる町の名前だった「Grazie」が、聖堂を訪れた後は別の意味を持って聞こえた。そして1406年8月15日、この聖堂は奉献された。8月15日は聖母マリアの被昇天を祝う日でもある。


聖母への祈りや感謝を携えた巡礼者が、この小さな町へ集まる。すると、その人たちに食べ物や物を売る人も集まってくる。人が集まれば、お腹が空く。物も必要になる。そこに市場が生まれる。そして1425年、ジャンフランチェスコ・ゴンザーガによって、聖母被昇天祭に合わせた市場が正式に制度化された。それが、今日まで続く Antichissima Fiera delle Grazie へとつながっている。


ここまで調べて、ようやく最初にバールで聞いた「朝7時のコテキーノ」にも戻ってきた。この習慣について、地元ではこんな話が伝えられている。

Ferragostoの朝、近くの町から歩いてきた巡礼者たちは、夜明けのミサに参加する。ミサが終わる頃には、当然お腹が空いている。食べ物を求める人々が店へ押し寄せ、最後に残ったのがコテキーノだった。そこで店主がパンに挟んで出したところ好評となり、真夏の早朝に熱々のコテキーノを食べるという、一見不思議な習慣として残った――という話だ。


「真夏の朝に、なぜ冬の食べ物を?」という最初の疑問を辿っていったら、聖母信仰、巡礼、そして市場の歴史までつながっていた。

「面白いストーリー!」と一人興奮しながら、時間があったのでボートに乗ることにした。


Grazieの周辺には、ミンチョ川がマントヴァの湖へ入る手前につくる広大な湿地帯が広がっている。いつもサン・ジョルジョ橋から「湖」として見ていた水を、今度はその少し上流まで遡って見てみたかった。マントヴァの湖になる前の水は、どんな風景の中を流れているのだろう。



ボートからは、蓮の花や柳、たくさんの野鳥を見ることができた。水は濁り、水生植物が密生していて、魚の姿は見えない。街から少し離れただけなのに、そこにはまさに「湿地」という風景が広がっていた。

その中で、日本人の私がどうしても気になったのが蓮だった。日本では、その地下茎である「れんこん」を当たり前のように食べる。ところが、ここでは食べ物というより、湿地を覆う夏の風景として存在している。

調べてみると、この蓮ももともとこの土地の植物ではなかった。1921年にアジア原産の蓮がマントヴァの湖へ持ち込まれ、食用としての利用も試みられたものの、食文化としては定着しなかった。一方で、この水辺の環境には適応し、今ではマントヴァの夏を象徴する風景の一つになっている。


同じ蓮を見ても、日本では「食べ物」になり、ここでは「風景」になった。環境が「育つもの」を決めても、それを食べるかどうかまで決めるわけではない。


そんな湿地を眺めながら、私はコテキーノを挟んだパニーノを食べた。

水辺で、水辺の生き物ではなく、豚を食べる。

なんだかそのチグハグさが面白かった。目の前には、魚や野鳥が暮らし、蓮が生い茂る湿地が広がっている。それなのに、この祭礼の日に人々が「食べよう」と記憶してきたのは、目の前の湿地から獲れるものではなく、周囲の平原で育てられてきた豚だった。


地元のお肉屋さんで買ってきたパニーノを実際に食べてみると、コテキーノはすっごく柔らかい。脂を食べているような濃厚さがあって、豚皮のコラーゲン質もあるからか、「ねっとり」という表現が一番近い気がする。サラミのような乾燥・熟成させた豚肉加工品とは全然違う。じっくり茹でているので水分をたっぷり含んでいて、合わせるパンまで柔らかい。唯一の逃げ場がランブルスコだ。笑 でも噛んでいると旨味がじわっと広がって、とても美味しい。

そもそもコテキーノは、豚一頭をできるだけ余すことなく食べてきた北イタリアの豚文化から生まれた食べ物でもある。豚皮に含まれるコラーゲンが長時間の加熱によってゼラチン質になり、あの柔らかく粘りのある食感をつくっている。そう考えると、私が「重い!」と感じたねっとり食感そのものが、肉だけでなく豚皮まで使うという知恵から生まれていたのだ。


そして、これは単なる「コテキーノ」ではなかった。Cotechino delle Grazieは、Curtatone市のDe.C.O.(Denominazione Comunale di Origine)に認定されている。DOPやIGPのようなEUの認証ではなく、自治体が、その土地の歴史や文化と結びついた産品を地域のものとして認める仕組みだ。

面白いことに、真夏に食べるこのコテキーノには、通常の冬のものとは少し違う工夫もある。塩や香辛料、脂肪を抑えたレシピが定められ、Curtatoneでつくられている。つまり、「Ferragostoにコテキーノを食べる」という一見不思議な習慣が、今ではその時期に食べることを前提にレシピまで調整され、地域が残していこうとするものになっている。


おまけだけど、その日のデザートで食べたのが、salame dolce di cioccolato con panna(チョコレートサラミの生クリーム添え)。チョコレートと砕いたビスケットを固め、輪切りにすると断面がまるでサラミのように見えることから、その名前がついたお菓子だ。知らずに注文したのだけれど、出てきたものを見て名前の由来がわかった。今日、どこまでサラミなの!笑 本物のコテキーノを食べたあと、最後はチョコレートまでサラミの姿をしていた。


「今年もやる」という選択

第一弾でマントヴァの食を追いかけたとき、私は、土地が「何を食べられるか」をつくり、人間が「それをどう食べるか」をつくるのだと考えた。


でも今回、Grazieで気になったのは、そのさらに先だった。

なぜ、一度生まれた食べ方を、何百年もあとに生きる人たちが今も繰り返しているのだろう。

どうして何百人もの人が、一晩中地面に聖母マリアを描くのだろう。どうして一年で最も暑い時期の朝に、みんなで熱々のコテキーノを食べるのだろう。別に、今の私たちはそうしなくても生きていける。それでも毎年人々が集まって、描いて、祈って、食べる。しかも、「暑い」「朝から胃に重い」「子どもの頃あの人形が怖かった」なんて時には文句も言いながら。笑


そういう身体の記憶までひっくるめて、「今年もやろう」と選び直す。


過去に起こった出来事は、それだけでも歴史的事実として価値がある。でも、伝統は少し違う。次の年にも、その次の年にも、誰かが同じ場所へやって来て、「今年もやる」と選び直してきた。その積み重ねが、伝統になる。時には、このコテキーノのように、今の暮らしや嗜好に合わせて少し形を変えながら、それでも大切な核は残す


伝統とは、昔からそこにあるものというより、今を生きる人たちが「今年もやる」と選び続けてきたものなのかもしれない。


水辺の食文化を見に行ったつもりが、気づけば私は、真夏の湿地で熱々の豚肉を食べていた。その一見チグハグな光景も、何世代もの人が繰り返し選んできたからこそ、今ではGrazieの夏の風景になっている。



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