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'その土地を食べる':エミリア・ロマーニャ

  • 3 時間前
  • 読了時間: 9分

LOST IN TRANSLATION: LIFE OF A JAPANESE GIRL IN ITALY


エミリア・ロマーニャ州の州都・ボローニャ。 とにかく美味しくてカロリーの高い食べ物が多いことから「La Grassa(肥満の街)」、西洋最古の大学があることから「La Dotta(学識ある街)」、そして街全体がテラコッタの赤色で統一されていることから「La Rossa(赤の街)」と呼ばれている。ポルティコが続く街並みや道の中心を走るトラムの風景が印象的。一本細い小道に入るとたくさんの可愛いトラットリアがあり、歩いているだけでテンションが上がる。食の都と呼ばれる理由もすぐに実感できる。 しかし、この街の魅力は単に「美味しいものが多い」ことではない。

なぜこれほどまでに豊かで重厚な食文化が成立したのか。

その背景には、地理・気候・物流・知の集積といった複数の要素が重なっている。 食科学大学での校外学習と、友人に会うために二度この街を訪れる中で、私はこの問いに強く惹かれた。ラグー・ボロネーゼ、ラザニア、トルテッリーニ、ニョッコフリットといった料理を単なる名物として紹介するフードガイドではなく、「なぜそれがここで生まれたのか」という視点から辿ってみたい。

①北イタリアの食文化を規定する地理:ポー川とパダーナ平原 イタリア最長のポー川は、アルプス山脈からアドリア海へと北イタリアを横断し、山から大量の土砂を運ぶことで、イタリア最大の平野であるパダーナ平原を形成した。イタリアの国土の約75%が山地であることを考えると、この「広大で平坦な土地」が重要な存在となる。


この平野は、川がもたらした豊かな水と肥沃な土壌に支えられ、豚や牛の畜産、チーズや米、ワイン、そしてほうれん草や不断草といった葉野菜の一大生産地となった。アルプスの雪解け水やポー川流域の霧といった湿潤な環境も、この地域の特徴を形作っている。

白い部分が平野である。                                          Wikipedia: 'Map of the Po watershed'
白い部分が平野である。 Wikipedia: 'Map of the Po watershed'

しかし同時に、この湿気は腐敗と隣り合わせでもあった。そのため、この地域では食材を保存し、加工するための技術が発展していく。塩や発酵を活用し、パルミジャーノ・レッジャーノの生産時に出るホエイを豚が摂取し、それがハムやラードへと転換されるといった、乳や肉を余すことなく循環させる仕組みも生まれた。 ②冬の寒さが生んだ「重さ」 エミリア・ロマーニャは、イタリアを南北に分けるアペニン山脈の北側に位置し、大陸性気候の影響を受けている。そのため冬は寒さが厳しく、ポー川流域には深い霧が発生するなど、一般的にイメージされる温暖な地中海性気候とは大きく異なる環境にある。 このような気候の中では、単に食材が豊富であるだけでは足りない。寒さの中で身体を維持するためには、効率よくエネルギーを摂取し、かつ保存できる形に変える必要がある。その結果、この地域ではラードやバターといった動物性の脂を多く使い、肉やチーズを組み合わせた高カロリーの料理が発展していく。また、長期保存を前提とした加工食品も同時に進化した。 つまり、この地域の食文化は、豊かな自然条件によって生まれただけでなく、「湿気と寒さ」という環境に対応するために「設計された」ものでもある。保存と加工の知恵が積み重なった結果として、エミリア・ロマーニャの食は豊かでありながら、重く、密度の高いものになったのである。

この地域の脂はオリーブオイルではなくラード!そのままニョッコフリットやティジェッレに塗って食べるのは私にとってニューワールドだった。
この地域の脂はオリーブオイルではなくラード!そのままニョッコフリットやティジェッレに塗って食べるのは私にとってニューワールドだった。

③中世ボローニャは「水の都」だった 今では想像がつかないが、中世のボローニャは、ヴェネツィアに次ぐ運河都市として発展し、「水の都」とも呼ばれていた。ポー川からアドリア海へとつながる人工運河が街に張り巡らされ、水は都市のインフラとして機能していた。今でもボローニャには、その面影を見ることができるスポットがいくつかある。

La Finestrella di Via Piellaからの眺め。中心部に運河が流れていることに驚いた。建物の隙間を縫うように水が流れ、バルコニーには洗濯物が干されている。まるで映画のワンシーンのような光景だった。
La Finestrella di Via Piellaからの眺め。中心部に運河が流れていることに驚いた。建物の隙間を縫うように水が流れ、バルコニーには洗濯物が干されている。まるで映画のワンシーンのような光景だった。

かつてこの運河沿いには水車小屋が並び、小麦を挽くために使われていたという。また、水の動力は絹織物の生産にも利用され、そこから生まれた富が蓄積されていった。その結果、精製された小麦粉や卵をふんだんに使う豊かなパスタ文化が成立していく。さらに、運河はすべてCanale di Navileへと集まり、ヴェネツィア方面へとつながっていた。川の水を都市計画に組み込み、物流として機能させていたのである。 その痕跡は、かつてボローニャ港として機能していたParco 11 Settembre 2001という公園にも残っている。現在は公園となり人々の憩いの場になっているが、入口が低く、周囲を建物に囲まれた盆地のような地形から、かつて拠点となり船が行き交っていた空間であったことが想像できる。目の前の風景と過去の風景が重なり、思わず心が震えた。

公園の入り口。街を歩いていても傾斜があって、ここを水が通っていたのだなということがわかる。
公園の入り口。街を歩いていても傾斜があって、ここを水が通っていたのだなということがわかる。
ここが船の溜まり場だった!
ここが船の溜まり場だった!

④博識の人はグルメだ ボローニャは、世界最古の大学の一つであるボローニャ大学がある「学問の街」として知られている。中世以降、多くの知識人や学生がヨーロッパ各地から集まり、思想や文化とともに食の嗜好も持ち込まれてきた。さらに、17〜18世紀にかけての貴族間の交流や、ナポレオン(フランス軍)の征服を通じて、外の文化が流入する機会も多かった。


その結果、この地域の料理にはフランス的な要素が色濃く見られる。例えば、ラザニアに使われるベシャメラソースや、詰め物パスタに合わせるバターとセージの組み合わせ、さらにはシャンティクリームを使ったコルネットなどは、ローマ以南ではあまり見られない特徴である。 つまり、この土地では知の集積とともに味覚もまた洗練されてきたのではないか。食文化は単なる素材の産物ではなく、人の移動と文化の交差によって磨かれていくものなのだと感じた。

⑤おばあちゃんが作るボロネーゼ料理と、現代シェフによる昇華。そしてそれを守る法的認証制度 私がイタリアの食文化においてすごいと感じるのは、「郷土料理と家庭料理がほぼ同義である」点である。郷土パスタは各家庭ごとにレシピがあると言うし、ボローニャ出身の友人も「郷土料理はおばあちゃんに聞けばわかる」と話していた。こうした家庭の味は、レストランでは再現しきれない、その土地に根ざした記憶そのものでもある。実際に、同じ州にレストランを構えるMassimo Bottura氏のような世界的シェフにとっても、おばあちゃんが作る料理は原風景となっている。彼の料理は革新的でありながら、その根底には家庭料理の記憶が存在している。 イタリアでは、こうした伝統が制度としても守られている。

パルミッジャーノ・レッジャーノ保護団体の担当者から話を伺う機会があったのだが、彼らは製法や産地を厳格に管理し、レストランやスーパーを回って品質をチェックするとともに、世界に向けた広告やマーケティングも担い、地域の食文化を保護していることがわかった。「それを専門的にやっている団体がいるのか!」と驚いた。 つまり、ボローニャの食文化は、おばあちゃんの台所というミクロな世界から、シェフによる創造、そして制度による保護というマクロな仕組みまで、多層的に支えられている。現代ではトルテッリーニを揚げたストリートフードのような新しい形も生まれており、伝統は固定されたものではなく、更新され続けることで生き続ける文化なのだと感じた。

最後に、少しマニアックな郷土料理の存在をシェアしたい。 ●ボローニャの食事を成立させる「ガードマン」たち この地域には、脂の強いチーズやハム、サラミとともに食べることで食事全体のバランスを支える、欠かせない存在がある。

  • 微発泡で酸味のある赤ワイン「ランブルスコ」

  • 中がふわふわもちもちで柔らかく、具材を受け止めるようなパン

  • フルーツを甘く煮てマスタードで風味づけした「モスタルダ」や、酸味のある野菜のピクルス「シャルディニエラ」

これらはそれぞれ、口の中をリセットし、重たい料理を食べ続けることを可能にしている。つまり単なる付け合わせではなく、食事全体のバランスを保つ「ガードマン」の役割を担っている。 ● 教授が教えてくれたErbezzone 旅の最後に食べたのは、エミリア・ロマーニャ地方の伝統料理であるErbazzoneだった。大学の教授が「一番好きな食べ物」として教えてくれた料理で、絶対に食べたいと思っていた。

その日の朝にパルミジャーノ・レッジャーノの工場を訪れていたこともあり、バールで材料を聞いた瞬間、それまで見てきた景色が一気に頭の中でつながった。まるで「その土地を食べている」ような感覚だった。 使われているのは、ほうれん草や不断草といった葉野菜に、パルミジャーノ・レッジャーノ、そしてラードやオリーブオイル。生地(パスタ・スフォリア)はサクサクとした食感で表面にほんのり絶妙な加減の塩気があり、生地の脂と野菜の水分が一体となることで、シンプルながら強い美味しさを生み出している。 こうした葉野菜とチーズの組み合わせはこの地域でよく見られるのだが、これはキリスト教の断食の日にお腹を満たすための料理として発展してきたとも言われている。 後日、Quality lawの授業で、Erbazzone Reggiano が2026年に PGI(地理的表示保護)として正式に認定されたことを学び、私は新たな気づきを得た。それは、「レシピそのものが文化として保存されている」ということだ。つまり料理は、単に食べるためのものではなく、外部に対して、自らが生まれた場所のアイデンティティを示し、守るための手段でもあるのだと思う。

パン屋さんのerbezzoneは、barで食べたものと違って分厚くケーキのようだった。いろんな場所で食べ比べてみたい。
パン屋さんのerbezzoneは、barで食べたものと違って分厚くケーキのようだった。いろんな場所で食べ比べてみたい。

なんだかボローニャは日本の「大阪」のような街だと感じた。

どちらも「食の都」としての異名を持ち、ここに行けば美味しいものが食べられるという信頼を全国から集めている。その背景には、川が運んできた豊かな平野があり、そこに四方八方から物流が集まり、文化のハブとなってきた歴史がある。そして、集まった最高の食材を、洗練された技で料理するという共通点がある。小麦粉をベースにした「粉もん」文化と、それを支える人々の独特なキャラクターが根付いている点も似ている。 エミリア・ロマーニャの食は全てがマッチするようにデザインされていて、現代的にはサーキュラーエコノミーのようにも見える。しかしそれは環境配慮として設計されたものではなく、生きるために自然と積み重なってきた仕組みである。


その本質は、「テロワール」と「保存の知恵」にある。気候や素材、そこに生きる人間の技術、そして時間や微生物が重なり合い、この土地ならではの食を形づくっている。

その環境でしか成り立たないこと自体が、この土地の価値になっているのだと感じた。それこそが、人々が何度でもこの土地を訪れたくなる理由なのだと思う。


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